古澤明さんと話していると、何度も「僕も、ストーリーテラーなので」という言葉が飛び出す。
量子物理学者が、ストーリーテラー?
最初は、そう思った。
古澤さん曰く――「仮説を立て、実験を行い結果を出す。その過程は、まさに物語を創造していくようなもの」だからだという。
理系の人は、数式と実験室に埋もれて、物語とは無縁だと思っていた私には、新鮮な驚きだった。
確かに言われてみると、研究者の新発見や発明は、「独創的な発想から生まれる」と言われる。従来、当たり前だと思われていたことを疑い、そこから空想力と創造力を働かせて、仮説を構築する。
高校時代まで古澤さんは、小説読みで、『宮本武蔵』や『新・平家物語』など、多くの大長編も読破してきた。それが、大学に入ってから、小説と決別したという。理由を、「もう充分読んだから」と言っているが、もう一つは、研究という物語と出会ったからかもしれない。
研究における仮説は、小説でいうとプロットに当たる。小説の場合、プロットは作品の方向性を決めるもので、それをどこまで明確にするかが、作品の成否を左右する。
私の場合は、テーマを決めると、資料読みと取材を始める。事実の裏付けを行いながら、同時に、潜在的な問題点を探り、未来への展望を模索する。一方で、エンターテインメント小説としての面白さが織り込めるかを考えつつ、プロットを固めていく。
小説でいう資料読みが、研究分野では、過去の実験データや論文の確認に当たる。そして、それを踏まえて独自の仮説を立てて実験を行うという過程は、取材をしつつ試行錯誤を繰り返しプロットを固めていくのとそっくりだ。
小説で、「グッドアイデア!」だと思っても、非現実的過ぎたり、物語として面白くない場合、私は、プロットを平気で変更する。場合によっては、全て破棄して一からやり直す。研究でも同様だろう。何度実験を行っても成果が得られなければ、仮説を再考するのだから。
古澤さんだけではなく優秀な研究者は、物語を考えるように仮説をつくり、検証するようだ。以前、取材したことのある睡眠学の権威、柳沢正史・筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構機構長も、「実験は、物語を紡ぐのと同じだ」と言っていた。
だが、全ての研究者が“ストーリーテラー”になれるわけではない。独創性、現実性、結果が揃わないといけないからだ。
「書き手」は、自分が手に入れている材料を、どう料理するのかを考える必要があり、そこに個性や独創性の差が生まれる。
小説家であれば、「誰も読んだことのない面白さや衝撃」を求めなければならないし、研究者なら「誰もなし得なかった発見」をしたい。
そのためには、手にした成果や気づきを、脳内で化学反応させ、そこに妄想力を加える必要がある。
古澤さんに、研究への向き合い方や過程を、具体的に尋ねたことはない。しかし、私の作品を読んだ後に語る感想から察するに、自分と似たような思考から、私の小説が生まれているという実感を、古澤さんは持ったのだと思う。
だから、「僕と真山さんは、よく似ている」と口にし、自分もストーリーテラーだと言うのだろう。
お互い、まったく異なる経歴を持ち、異なる分野で切磋琢磨しているにもかかわらず、「似た者同士」だと感じる秘密も、そのあたりにありそうだ。
新しいテーマや課題を前にすると、私は、これをどうやって面白い小説にしようかと考え始める。
同じことを古澤さんも、行っているのだろう。そして、独創的な発想で「無理」だと思われてきた難問を解き明かしていく。
互いに物語を紡ぐ者として、飽くなき挑戦を続けていきたい。