特別寄稿エッセイ - 『フロンティア』第2回
光量子コンピュータ研究の世界的第一人者であり当社取締役の古澤明を、作家の眼で描く特別エッセイ『フロンティア』シリーズの第2回
諦めず達観せず、挑み続ける姿
小説家 真山仁
2026年7月1日、私と古澤さんは、パリにいた。駐仏日本大使から、大使公邸でのディナーに招待されたからだ。
主賓は、もちろん古澤さん。私は都内の日本酒の名店で一緒に呑んでいた時に、古澤さんから誘われ、「喜んで」と相伴にあずかった。
光量子コンピューターの権威とパリ、この二つは、簡単には結びつかない。
前夜、古澤さんとパリでベトナム料理をご一緒したが、私同様、けっしてフランス好き、パリ好きではない(そういうホンネをぶつけ合う関係に、私たちはなっていた)。
細かい理由はともかく、相性が良くないのだと思う。しかも、忙しい身なのだ。パリ行きのために、簡単には腰を上げないだろう。
今回のパリ訪問の動機は、大使である鈴木秀生氏にある。
鈴木大使は、古澤さんの東大スキー部の後輩で、四〇年来の仲だ。また、鈴木大使が駐チェコ日本大使だった時、古澤さんは何度もチェコに足を運び、同国の量子物理学振興に尽力したという。鈴木大使は、深く感謝して、パリでの晩餐への招待となった。
天才は概ね、ドライでクールなイメージがある。また多くの天才肌の人物は、マイペースで唯我独尊的な人が多い、気がする。
ところが、古澤さんは、誰にでもオープンに接するし、頼まれ事は断らない。大学の研究室でもOptQCでも、若い研究者たちと気軽にランチを食べるなど、常に人の輪の中にいる。
私とのつきあいが深まったのも、鈴木大使が赴任してすぐに、「是非ディナーにご招待したい」となったのも、古澤さんの性格ゆえんだ。
私のような門外漢が参加するのは申し訳ない顔ぶれが、当日集まった。
量子暗号技術が専門のフランス量子物理学の重鎮・フィリップ・グランジェ(Philippe Grangier)氏。
量子光学の第一人者であるピエール・エ・マリー・キュリー大学教授・ニコラ・トレプス(Nicolas Treps)氏。
古澤さん同様カリフォルニア工科大学でキンブル教授の薫陶を受けた量子光学と量子ネットワークのエキスパート、ソルボンヌ大学教授ジュリアン・ローラ(Julien Laurat)氏。
そして、フランス研究省(大学や研究機関、科学技術イノベーション政策を統括する行政機関)の数学・物理・ナノ・ICT担当部長のエルヴェ・マルタン(Hervé Martin)氏。
いずれもフランス量子物理学の俊英たちだ。
ディナーは、駐仏日本大使の公邸で、午後7時に始まった。パリは、まだ昼間の明るさを残している。
吹き抜けのエントランスロビーから二階に上がると、日本の風情が醸し出された空間が広がり、サーブされた発泡日本酒やシャンパンを片手に、出席者が皆、古澤さんと旧交を温める。
一人ひとりと情熱的に言葉を交わす古澤さんに、フランス側の出席者は親しみと敬意を込めて応じる。
どんな場所でも誰に対しても、萎縮したり、妙に強がる様子もない自然体は、さすが古澤明。
一方の私は、挨拶をかわしつつ、観察者に徹するつもりだった。
鈴木大使の挨拶で会は始まった。日本の食材を中心にした食事は美味で、日本酒もワインも選りすぐりの逸品で、素晴らしい味わいだった。
そこに参加者と古澤さんとの意見交換が加わり、日仏の量子物理学者の叡智が、化学反応していく――。
その合間に、出席者から、なぜ小説家が同席しているのかという質問が飛び出す。古澤さんは、拙著『タングル』を紹介。私が古澤さんに飛び込みで取材依頼をし、それに協力した結果、自分の分身のような人物が活躍する小説が生まれたと説明した。それ以降、深い交流が続き、彼が立ち上げたOptQC設立の原動力にもなったと熱く語ってくれた。
そして、当然のごとくの質問が、私にぶつけられる。
「次作は?」
今回のディナーのための渡仏に合わせてハゲタカシリーズの新作の取材を行ったと、つたない英語で話すと(大半は、鈴木大使が通訳してくれたが)、こう尋ねられた。
「また、明も出るのか?」
想定外の質問に、古澤さんは涼しい顔で食事を続けていたが、無言の希望の声が聞こえた気がして、「きっとそうなるでしょうね」と返していた。
明が出ている小説を翻訳すべきだ、私たちも是非読みたいという声も上がり、それも是非考えたいと答え、ひとしきり盛り上がったところで、また、彼らは専門分野の議論に花を咲かせた。
ディナーの後、シャンゼリゼ通りにあるカフェで、古澤さんとビールで二次会をした。
「まさかシャンゼリゼ通りで真山さんとビールを飲むなんて」と言われ、「全く同感。でも、どこで会っても気がつくと我々は周囲を気にせず話してますね」と笑い合った。
翌日早朝、次の訪問先である北欧に移動するという古澤さんのタフさに感心しながら、たった一本の取材依頼のメールを起点に、パリまで来た自分に驚くと共に、出会いを大切にするという意味を噛みしめる。
古澤さんの頑張りに、自分も背中を押され、いくつも新しい事に挑むエネルギーをもらっていると気づいた。
年齢相応に限界を感じ、諦めや達観も大切だと、人は言う。私自身もそうかもしれないと思うこともある。だが、古澤さんと会って話し、彼のエネルギッシュな行動力と情熱に触れ、違和感を覚えないどころか、かえって嬉しくなる私も、実は他人からは同様に見えているのだと気づく。
不思議な繋がりが、互いにとってこれからも、誰もなしえないことに挑む刺激であってほしいと静かに願う内に、パリの夜は更けていった。
著者プロフィール

真山仁
1962年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業後、新聞記者、フリーライターを経て、2004年『ハゲタカ』でデビュー。企業買収、原発、宇宙開発など、社会の最前線を徹底取材し、骨太な社会派小説として描き続けてきた。NHK・テレビ朝日でのドラマ化、映画化も多数。科学技術の先端領域にも早くから関心を持ち、光量子コンピュータ研究の世界的第一人者であり、OptQC 取締役である“古澤明”とは長年の交流を持つ。2023年には古澤明への濃密なインタビューをもとに『失敗する自由が超越を生む』(小学館新書)を上梓している。
真山仁 - JIN MAYAMA Official Home Page - (外部リンク)


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